教育論

とある日の職場でこんな質問をされました。

『日本や中国など、アジアでは料理や生花なんかにも「正解」と「間違い」があるのでしょう?』

例えば野菜の切り方。日本のレシピには細く何切り、何センチ、と書いてあり、日本人はその通りに切ろうとする。レシビが「正解」であると信じているから。でもヨーロッパのそもそもレシピには「切りましょう」としか書いてなかったり、切り方が書いてあったところで、何センチなどと細かくは書いていなかったり。そして作る人も、切り方が大事だとは思っていなかったりする。野菜をどう切るかは、日本では味の染み込みやすさなどを考慮して計算されたものだと思われていても、ヨーロッパでは見た目の芸術だと思われていたりする。

日本を含め、アジアの教育では、質問や課題に対して絶対的な正解があることが多く、それと少しでも違うと「間違い」と指摘される。数学のように揺るぎない法則があればこそ、国語や社会、強いて言えば芸術においても「正解」と「間違い」があると、生徒が自分で考えられなくなるという難点がある。

対してヨーロッパでは絶対的な正解があることは少なく、生徒の考えを尊重する方針。ただ、この方法では、生徒の考えを尊重しすぎて「正解」に対する信用が薄くなり、指摘されることを嫌がったりするようになる。(数学にまでこれが及ぶと脅威。苦笑)

教えられる側としても、教える側としても、臨機応変に対応できればベストだけども、体の芯まで染み込んでしまっている習慣や考え方を変えるのはなかなか難しい…。

後輩の面倒を見るようになり、教育文化の違いという壁にぶつかり、両親の偉業を感じざる得ない今日この頃です。




スポンサーサイト

20:07 | 日本語 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
組織改革 | top | 秋模様

comments

post a comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

この記事のトラックバックURL:
http://tulatullalla.blog88.fc2.com/tb.php/606-03c0f394
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)